高校生の頃、通学におよそ1時間強かかる学校に通っていた。通学時間が長いということは多くの人にとってマイナス要素であると思うけど、僕にとってはそうでもなかった。
持ち前の適応能力の低さから、高校に入ってすぐ周囲に置いてけぼりを食らった自分は、早々に高校に対して苦手意識を持つようになった。毎朝学校に行きたくないと思っていたけど、特に理由もなく休める雰囲気ではなかったので仕方なく真面目に通ってた。
そんなこんなで学校に通うことは嫌いだったけど、実は道中はそんなに嫌いではなかった。
学校に通うことが自分にとって懲役みたいなものだと例えるなら…通学路は執行猶予みたいなもんだと捉えていた。ただしこの場合どれだけ大人しく過ごそうが必ず刑は執行されるんだけれど。
幸いにも学校までは乗り換えなく電車一本で行けた。その間、昨日の夜考えきれなかった悩み事やくだらないことを夢想したり、大好きなバンドのアルバムを大音量で聴いて騒音武装したりする。
朝起きたばかりの心は無防備で、そのままの状態では辛いことや理不尽に耐えることができない状態だと思う。だからこそ心に膜を張って防御する必要があるのだけれど、僕はその心に膜を張る作業を通学路での夢想や騒音武装で行っていたんだと思う。学校に着くまで1時間はまだ自分の好きにできるという安心感も少しはあったし、とにかく自分にとって通学時間が長いことはとてもよい効果をもたらしてくれていた。
こんなことを思い出すようになったのは、高校時代に聴いていた音楽を最近また好んで聴き始めてからだ。卒業してからは昔のことを思い出したりしなかったし、忘れていたはずなのに。
そういえば、昔のことをほとんど覚えていない認知症の老人に、彼にとって思い入れのある曲を
聴かせると半生を鮮明に思い出し語り始めた、という記事を見たことがある。音楽と記憶にはどうやら密接な関係があり、それは科学的にも証明されているらしい。
ひぐらしという曲を作り始めたのは去年の年末ごろで、今年の1月頃からアレンジ、三月から制作作業に入ったから、自分の今年一年はほぼこの曲と一緒にあった。2020年はコロナ騒ぎでの自粛もあったり、自分の中では全く中身のない年だと思っていたけど、完成したひぐらしという曲を聴くと4人でスタジオに入ってアレンジに頭を悩ませたこととか、友達と馬鹿騒ぎをしたこととか、楽しかった出来事をたくさん思い出した。その一方で思い出したくない本当に辛いこともたくさん。
けれど、辛いことがあったからといって全て忘れてしまうのでは、その前後にあった楽しいことや大切なことも巻き込んで記憶から消してしまうことになる。過去の記憶の一切が残っていない人生なんてどれほど悲惨だろう?
それでも記憶力に乏しい僕はいつかこの目も眩むような暑さだった2020年の夏のことをいつか忘れてしまうだろう。そしてひぐらしという曲を聴くたびに思い出すだろう。
音楽というものはそれ単一では価値のないものだと思う。ただのmp3という符号で、HDDの容量を圧迫するだけのお荷物でしかない。だけれど不思議なことに、人間の鼓膜を通じて聞くと音楽はその人の感情や記憶を揺さぶったりして、その後の行動に影響を与えたりする。こうなって初めて音楽は作品としての価値を見出せるものだと思う。
僕にとってそうであるように、ひぐらしという曲があなたの人生の一コマに寄り添える曲になってくれれば本当に嬉しい。そしてもし曲が良いと思ったらチャンネル登録と高評価…ではなく、周りの人にぜひぜひ広めてください。
MV↓
ボス
(前回と文体が違うのには目を瞑ってね)
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